【コラム】映画『天気の子』とRADWIMPSの音楽が“現代の大人たち”を解放する 劇中5曲の視点から紐解く
リアルサウンド
2019.7.27
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映画『天気の子』とRADWIMPSの音楽が“現代の大人たち”を解放する 劇中5曲の視点から紐解く https://t.co/La6QrtVYjq
— Real Sound(リアルサウンド) (@realsoundjp) July 26, 2019
6月27日から7月16日まで晴れが1日も無かった、東京の空。そんな中、午前の雨が午後に晴れ渡った7月19日に公開を迎えたのが、新海誠監督最新作『天気の子』である。雨が降り止まない東京で、家出少年・帆高と、祈るだけで、空を晴れに出来る力を持つ少女・陽菜が、自らの生き方を「選択」するストーリー。リアルに描写された東京の街並みに、美しく描かれる雨、雲、風、光。本編を見た人の中には、現実と物語がクロスした、奇跡のような光景に心を奪われた人も多いのではないだろうか。
前作『君の名は。』から約3年。今回もRADWIMPSが劇伴を担当し、30曲全てを制作した。野田洋次郎は1年半毎日同じ時間に新海にメールをし、直前まで一緒に映像と音楽を直したという(参照:ダ・ヴィンチニュース)。
新海は「洋次郎さんの方が、主人公の帆高や陽菜の気持ちを知っているな、と感じる曲をたくさん作ってくれた」と語り、曲を聴いてキャラクターの動きを決めることが前作以上に増えたという。野田も、脚本があったことで「僕の中のどこかのスイッチが反応して曲が生まれた」といい、刺激し合って創造力を高めていったことがわかる。この2人は生き様にも共感し合うことが多いようで、前作以上に絆を深め、本作のスケールを両輪でより大きなものにしていた(参照:ORICON NEWS)。
ところで、「大人になるってなんだろう」と考えたことはあるだろうか。「大人」と「子供」、これが本作のテーマの一つに感じた。劇中のボーカル曲5曲を、この視点から紐解いていこうと思う。
10代の頃、子供だからと行動を制限されることが嫌だった。世間と自分が対立しているように感じる日々。早く大人になって、自由になりたい。劇中で描かれるそんな「子供」の時期を描いた楽曲が、以下の3曲だ。「風たちの声」では、利き手と逆でも世界記録が出せそうな全能感、持て余した勇気・持て余した正義・こぼれそうな奇跡を使いたい渇望感が歌われる。風に帆を上げ進むような、帆高の無敵感を感じる一曲だ。「祝祭 feat.三浦透子」は、〈君じゃないとないよ 意味は一つもないよ〉とまっすぐ愛を信じる若さが描かれる。三浦の透明感のある歌声と爽やかなメロディが、心地よいワクワク感をもたらす。そして、「グランドエスケープ feat.三浦透子」が本当に素晴らしい。この曲にむけて物語が走り抜けてきたといっても、過言ではないだろう。野田と三浦の声が重なり合うシーンは特に圧巻で、曲を聴くだけで美しい映像がありありと蘇る。実際、あの一瞬を劇場で体験してもらうだけでも映画をつくった意味があると、新海は語っている。(『週刊少年マガジン』33号)『君の名は。』の「夢灯籠」と同じく〈「せーの」〉で行く歌詞もたまらない。〈怖くないわけない でも止まんない ピンチの先回りしたって 僕らじゃしょうがない〉〈「行け」と言う〉——子供時代の「僕ら」にとって、「僕ら」の幸せが、他の多数の幸せとぶつかっても、構わなかった。
そんな頃が私たち大人にもあった。しかしいざ大人になると、多数が正しいとすることが、自分の本心と一致していく感覚になる。その方が非難もされないし、生きやすいことを知る。世界なんて自分が変えられるはずないと、諦観する。
〈諦めた者と 賢い者だけが 勝利の時代に どこで息を吸う〉〈勇気や希望や絆とかの魔法 使い道もなく オトナは眼を背ける〉——まさに現代の大人の生き方を指すような言葉が並ぶ、「愛にできることはまだあるかい」。ここからの2曲に、『天気の子』の核が詰まっていると思う。
〈それでもあの日の 君が今もまだ 僕の全正義の ど真ん中にいる〉——世間に自分を合わせる大人に対し、この曲の主人公の中心にあるのは、世界ではなく、君である。〈君がくれた勇気だから 君のために使〉うことの方を選び取り、狂った世界を受け入れて生きていく。そんな社会のレールから外れていく主人公たちを、幼く愚かだと、大人は手放しで笑えるだろうか。大人だって、世間ではなく自分のために、願ってもいい、声を発してもいいのではないか。大人にも世界は変えられる、〈愛にできることはまだあるよ〉と、この歌が現代の大人たちを解放するかのように感じるのだ。
そして最後に、「大丈夫」。新海はこの曲によってラストシーンを変えたほど、重要な一曲だ。〈「大丈夫?」〉と気にかけてくれる〈君〉に勇気をもらっていた子供の〈僕〉が、今度は〈君の大丈夫になりたい〉と歌う。これは帆高の大人への一歩であり、君の大丈夫になることは、まさに〈愛にできること〉の一つのように感じた。また、冒頭の〈世界が君の小さな肩に 乗っているのが 僕にだけは見えて〉という歌詞の〈君〉は、陽菜を指すようでいて、世間という荷物を負った大人たちのことでもあるように聴こえる。「大丈夫」もまた、そんな大人たちを解放してくれる歌なのだと思う。
ここまで紹介した5曲全てに〈君〉や〈僕〉という言葉が登場する。これらの曲が登場人物たちの“台詞”となって物語を説明し、物語もまた曲を説明するような関係にある。『天気の子』は新海誠とRADWIMPS、そして何百人というスタッフチームの融合により生みだされた、素晴らしい総合芸術だった。そして『君の名は。』が大衆的な直木賞作品なら、『天気の子』は純文学的な芥川賞作品のように感じた。笑いあり泪あり、エンターテインメント性に溢れている点は同じだが、新海は本作ではっきりとした結末を用意した。これにより、観客である我々はただ楽しいだけではなく、「問い」を与えられる。「私はこう思う」と賛否両論し、語りあえる。だからこそ、『君の名は。』よりも、これは自分のための映画だと思う人も多かったのではないだろうか。
「大人になるってなんだろう」——鑑賞中何度もこの「問い」が浮かんだ。混沌として始まった令和の時代。 私たちは誰かの大丈夫になれているか。主人公たちの純粋さは、大人たちにとって、〈醜いかい それとも綺麗かい〉。(深海アオミ)
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